旧海軍司令部壕[沖縄県豊見城市]
豊見城市にある旧海軍司令部壕は、日本海軍設営隊(山根部隊)によって掘られたそうです。掘った穴の中をコンクリート、そして坑木を使って固めて掘り進んでいったそうです。戦後は放置された期間もありましたが観光開発事業団によって復元されています。
日本帝国海軍の司令部
豊見城市豊見城の丘にある旧海軍司令部壕は、戦時下当時、日本海軍の防空壕として使われていた。現在は一般にも公開されていて、壕の周辺は公園として整備されている。

参観料(入場料)は[一般]大人:420円、小人210円、[団体]大人380円、小人180円である。※団体料金は20名以上からとなる。また、沖縄モノレール(ゆいレール)の1日乗車券で大人340円、小人150円となる。※他の割引券との併用は不可。
駐車場は広くて停めやすい。駐車料金は無料となっています。大型のバスも停めるスペースがあり、一般車なら100台近くの駐車が可能です。
壕内は薄暗くてひんやりと涼しく、そして自分の足音以外は何も聞こえない静寂に包まれている。
旧日本海軍が掘った穴が当時のまま残された空間で、貴重な戦争の資料として大切に保管されてる。
米軍の艦砲射撃に耐えるための、持久戦を続けるために作られた地下陣地なのである。
壕の入り口の階段は約100段、30メートほど下ると網の目に張り巡らされた防空壕に辿り着く。
まるで迷路のように入り組んだ地下壕。薄暗い空間をゆっくりと歩いてみたのです。
壕内では当時の様子が絵(イラスト)で紹介されている箇所もあり、状況を想像することができます。
司令官・作戦室に近い部屋では手榴弾で自決した痕が当時のままくっきりと残っています。
司令官室。司令官室の壁面には大田司令官の愛唱歌が当時のまま残されています。
当時、17平方メートルの広さの暗号室からは約2900通もの電報が発信されたそうです。
壁は茶色、黒色、緑色、そして照明に照らされて様々な色に変化している。崩れないかな・・
壕内の通路は>戦闘の合間に横になって休憩したり立って歩くスペースもなかったそうだ。
生存者の証言により医療室だと推定される部屋もあります。初めからそうだったかは不明
当時の部屋の中の状況が描かれた図がある。壕内で見ると生々しさが怖いほど伝わってくる
ぽつんと献花が行われた部屋と言うよりもくぼみのようなスペース。
沖縄リピーターでも意外と知らない戦跡
何度も沖縄に通っているという本土の沖縄フリークでも知らない人が意外と多いのが豊見城の旧海軍司令部壕なのである。那覇空港のある那覇市からほど近い場所にある戦跡で、日本の軍人さんが掘った実際の防空壕が現存しているという貴重な戦跡資料。これはぜひとも見に行って欲しい。
薄暗い通路を歩くため懐中電灯を持参してもいいかもしれない。スマホのLEDライトも役立つよ。
実際に壕を掘り進めた道具も保管・展示されている。ふむふむ、こんな道具を使ったんですねぇ
作業風景を絵で表現しています。暗い空間で男たちがクワを片手に土を書きだす様子が描かれてる
兵士たちが「つるはし」・「クワ」を用いた手作りの壕であると説明があります。
暗い場所に長い間とどまると外の世界がとても明るく感じます。当時はどうだったのだろう
ゆっくりと歩み、当時の様子を疑似体験(空想・想像)しながら歩を進めていきます。
司令官室での様子。どのような会話が行われ、指示が飛び交い、どう行動したんでしょう
網(フェンス)で区切られたスペース。崩落の危険があるのかもしれないですね
こちらも網(フェンス)で区切られたスペースです。崖のような下った地形になってる?
壁や天井、床などに緑色の苔(コケ)でしょうか、なにかちょっと不気味な印象を受けてしまう
壁・壁面をアップで撮影した一枚です。この緑色は塗装ではなく自然発生したものでしょうか
奥の部屋へと向かう壁を伝う切れ込みが不安な雰囲気が写真からも伝わってきますね。
旧海軍司令部壕内の見取り図及び順路。日本語・英語表記で紹介されています。
現在も公開されていない通路が150メートルもあるんですね。復旧して見せて欲しいね
出口へと向かう通路では外界の光が、なんだろう、天国!?のように見えたのかも
出口に掲げられた看板。外の明るさと空気の美味しさを改めて感じることができました
当たり前というか、もちろん、壕内は禁煙であります。当時はどうたったかは知らない
出口ではオリジナルTシャツが販売された海軍壕直営売店がありました。
豊見城岳陵にある海軍壕公園からは東シナ海、那覇市街、首里城が展望できます。
とても見晴らしの良い場所にあり、当時はどのような風景だったのかが気になります。
どうでしょうか!この見晴らしの良さ!青い空に白い雲!もう戦争は二度と繰り返したくない><!
出口付近に建てられた石碑です。世界の恒久平和を祈念するにふさわしい戦跡なのです。
大人も学べる戦争遺跡
子供だけでなく大人が訪れても意味の、意義のある戦跡だと思う。まだ行ったことがない人は軽い気持ちで構わないから足を運んでみて欲しい。綺麗なビーチや、歌って踊る楽しいカチャーシー・エイサー、美味しい沖縄そばだけじゃない沖縄がここにきっとありますよ。
壕内を見学した後は周辺も散策してみるといいですよ。あ、水分補給とハブには気をつけてね。
海軍壕公園ビジターセンターには壕内で発見された当時の遺品や戦争関連資料が展示されてる
無機質なコンクリート・ガラス張りの建物と背景の青い空の対比が印象的だね。
室内からは曇ったガラスを通して外界が映し出されてる。急に静まり返る空間が広がる
ハワイの真珠湾で日本海軍の奇襲攻撃を受けて煙を上げ、燃え上がる米国艦隊のモノクロ写真。
資料館内の一文一文、一文字一文字にじっくりと時間をかけて読み込んでみてはどうだろうか
壕に篭っていた人たちは何を見て、何を感じ、何を考えて、どう行動していたのかに想いを馳せる
実際に使われていたテーブルや備品などの道具も展示されています。
暴風雨のような米軍の砲火が夜空を照らす、という状況の写真。まさに鉄の暴風
観光地ではないけれど絶対に行って欲しい場所。平和学習というか人生・人間学習の場だと思う。
米軍が作成していた沖縄上陸作戦図である。沖縄という地理的なものが招いた結果なのか
米軍上陸の翌日、読谷地区で捕虜になった老人たち。逃げる体力も資金もない人が犠牲に
米軍が作成していた沖縄上陸作戦図。情報を収集した米国と、封鎖した日本の違いって
沖縄戦での全戦没者数を表したグラフ。軍人、民間人、国籍関係なく含めると20万人にも
アメリカ軍が使用した砲弾の数は約300万発にも。当時の沖縄の人口1人あたり5発の計算
海軍部隊が使用した武器、手製の槍(ヤリ)、銃剣も展示されている。
浜辺に普通に落ちていそうな流木をヤリに仕立てた手製の武器。これで米国に立ち向かった・・・
竹槍で戦車に対向するかのごとく無謀な闘いだったと言わざるをえないのは後から知ること
この壕を後にした兵のほとんどが二度と戻ってくることがなかったという悲惨さを感じる
平和学習で訪れた学生からの平和を希求する願いを千羽鶴で表現した首里城
ビジターセンターは年中無休で開館している。戦後生まれの世代は一度行ってみて下さい。